芥川龍之介「手巾」

「手巾」は芥川龍之介が書いた小説であり、1916年10月に『中央公論』にて発表されました。

なんて読むか迷いますが、読み方は「ハンケチ」です。

 

芥川龍之介と言えば、「羅生門」や「蜘蛛の糸」を書いた作家と知られ、芥川賞でおなじみの作家ですね。

誰しも一度は読んだことがあるではないでしょうか。

 

そうえいば、この前友人に太宰治の作品は?と聞いきたら「羅生門」と返ってきてびっくりしました笑。

文学にあまり関心がない人は、そこらへん曖昧なのかもしれませんね。

少し悲しいです…。

 

そんなことはさておき、「手巾」は次のようなお話であります。

 

***

東京帝国法科大学教授、長谷川謹造先生は、ストリントベリの作品を読んでいました。彼の専門は植民政策の研究ですが、大学教授の傍ら兼ねている高等専門学校の生徒が愛読しているため、専門でもない本も読みます。

また、彼はアメリカ人の奥さんと結婚しており、ベランダにはそんな彼女が吊した岐阜提灯があります。

先生は岐阜提灯を眺めつつ、日本の文明や武士道を思います。

 

そんなところに西山憲一郎の母・西山篤子という人物が訪れます。西山というのは先生のところへ出入りしていた学生でした。

西山憲一郎はイプセンなどの評論を書く生徒で、春に大学院生になったのですが、病院に入院していました。

容態を聞くと、彼は闘病むなしく亡くなったようでした。

悲しい出来事のなか、先生はあることに気づきます。それは、西山夫人が息子を亡くしたのに、少しも悲しい様子を見せないのです。

先生はふとした拍子に持っていた団扇を落とし拾おうとしますが、偶然夫人の膝が目に入ります。膝の上にあったのは、手巾を引きちぎらんばかりに握りしめ激しく震えている夫人の手でした。

先生は夫人が帰ったあと、奥さんにその話を聞かせると「日本の女の武士道だ」と夫人の振る舞いを称賛します。先生もそうだと満足に思いました。

それからしばらくして、たまたま先生は先程まで読んでいたストリントベリの本を開くと、ある一節が目に留まります。

私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分巴里から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを我等は今、臭味と名づける。

それから先生は不快そうに頭を振って、岐阜提灯の明るい灯を眺めはじめました。

 

***

 

西山夫人のふるまいは、感情を表に出さない行動であり、確かに日本人らしいと言えば日本人らしい。

しかし、そこで終わらないのが芥川龍之介です。

ストリントベリを引き合いに出し、婦人のふるまいを「臭味」とします。

この「臭味」、日本語で言えば「くさみ」と読むますが、今でいう「演技がくさい」というような意味と取れるのでしょうか。しかしながら、ルビで「メツツヘン」とドイツ語がふられています。

 

一体この西山夫人のふるまいはどういった意味で取れるのでしょうか。

あなたはどう思いますか?

様々なことを考えさせられる作品です。

 

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少し日数が空いてしまいました。

一日書かないと、すぐ途切れていましますね。

継続は難しい。

 

あと、今回は芥川龍之介を扱いましたが、もっと日本近代文学を書いていきたいと思います。

しかし、あらすじを書くのに時間がかかりますね。

どうしましょうか…。

考える必要がありそうです。

 

ではでは、今回はこれで。

また会いましょう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!