李琴峰『彼岸花が咲く島』

今回は李琴峰さんの『彼岸花が咲く島』を読みました。

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*本ブログでの「私たち」とは日本語を話す日本人を指しています。

 

本作は第165回芥川賞の受賞作品です。

何かと世間では話題になったことですので、小耳にはさんだ人も多いのではないでしょうか。

 

作者の李琴峰(り・ことみ)さんは台湾出身の方で、日本語が第一言語ではありません。つまり、第二言語である日本語で執筆された本ということになります。

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公式サイトをみると、二言語作家として小説だけではなく、翻訳や通訳など幅広いご活躍をなされているようです。

 

ではでは、そんな李琴峰さんが書いた本作はどういった話なのでしょうか。

 

彼岸花が咲く島』は2021年6月に文藝春秋社から刊行されています。

島と言われている通り、話は記憶を失った少女が島に流れ着いたところからはじまります。

面白いのがこの島では、現実の私たちでも聞いたことがない文法大系を持つ言語が話されているということです。

もちろん主人公の少女(のちに宇実と名付けられますが)も戸惑います。

そんな宇実がこの島の謎を知るということが主な話の筋となります。

 

話されている言語は二つ。

まず普段島民が用いる〈ニホン語〉と呼ばれるもの。

もちろん、現実の私たちが使っている日本語ではありません。

例えば、次の引用は、主人公の宇実ともう一人の主要な登場人物である游娜(ヨナ)が会話をしている場面です。

「あなたたちが、はなしているのは、なにことば?」と少女が訊いた。

「ナニコトバ?」游娜は少し考えてから、やっと少女の質問の意味が分かったようで、こう答えた。「〈ニホン語〉ヤー!」

(・・・)

「いえは おかねが かからないの?」と宇実が訊いた。

「オカネ?・・・銭アー?いりしないア!住む家、何故銭いるナー?」

このようになんとなく意味が分かるけども、でもやっぱり私たちと異なる文法体系をもつ言語を話していることがわかります。

 

そしてもう一つの言語は〈女語(じょご)〉と言われるものです。

こちらの〈女語〉は現実の私たちが話している日本語と同じものです。

なぜこのことばが〈女語〉と言われているでしょうね。

 

また、海の向こうで育ったであろう宇実は、島で話されているどちらの言語でもない〈ひのもとことば〉を話します。

また、二人の会話場面を引用します。

「もう、つかれたよ」汗を垂らし、息切れしながら宇実は言った。「まったく、こっちは ぺーシェントなのよ、ひどくない? やさしくしてよ」

「ごめんラ!」

(・・・)

「ここにも くっついているから、セルフで とって」宇実が言った。

こんように〈ひのもとことば〉は日本語にカタカナ英語?が混ざった感じです。

 

この話を読みはじめたとき、正直頭が混乱しました。

だって、日本語?漢語?英語?どれでもないの?みたいに、似ているようで、違う言語が書かれていたからです。

 

しかし、読み進めば読み進めるほど、私たちが話している言語が絶対のものではないことを感じました。

というのは、やはり李さんが日本語を第一言としていないという背景を考えながら読んでからです。

 

昨今グローバル化にともない、私たちの言語の壁というものは薄くなっているかと思います。しかし、その土地で生きて行くには、その土地の言語を学ばなければいけないというのは依然変わりはありません。

つまりは、言語を学ぶ際に何かしらの問題を抱えている人々が身近にいるということです。

まして、日本では多くの人々が日本語で話すのですから、なおさらです。

また、日本には日本人だけが住むんでいるわけはありません。それこそ、最近では外国籍の方々も増えてきました。

だからこそ、第一言語である日本語をしゃべる日本人の私たちは、第二言語として日本語を話す人々のことを考えないわけにはいかないのです。

いや、考えなければいけません。

目をそらしていいことではないと思います。

 

李さんのバックグラウンドを含めて、日本語に関する問題を考えさせられる話でありました。

 

言語学に興味がある人や、日本語教育に興味がある人は是非手にとって欲しいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。