文学・文学研究のについて思うこと。悩み。
今回は私が最近考えていること、悩んでいることについて少しお話しようと思います。
少し陰鬱な話になると思いますので、嫌な方はブラウザバックを。
ちなみにこの話は「文学・文学研究の意義」はこうだ!と謳ったものではないので、ご了承ください。
文学・文学研究の携わる者の個人的な悩みです。
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私は現在大学院生で、日本近代文学を専攻しています。
まだ修士課程ですので、文学研究者といってもまだまだ未熟のペーペーです。
それでも文学には人生について考える、考えさせてくれる力はある思うことから、この道を歩んでいます。
しかし、世の中の文学に対する風当たりは強く、なかなか理解してもらうことは難しいようです。
周りから
「そんなことをやってなんの意味があるのか」
「文学研究なんて無駄だ」
ということを面と向かって言われることも多々あります。
「文学研究者なんで言葉を弄しているだけで、研究でもなんでもない」なんてことも言われました。
こう言われることが結構ショックで、苦しんでいます。
というのも、私は神経が細く臆病であり自身がない人間だからです。
また頭の回転も速いわけでもなく、反論することがなかなかできない。
割り切ればいい話なんでしょうが、なかなか割り切ることができない人間です。
苦しいです。
文学の風当たりが強いのは、きっと文学が曖昧ではっきりしないものを掴もうとする学問なのだからでしょう。
なんだかよくわからないものは排除する、臭いものに蓋をするというのが世の中の風潮なんだと思います。
その風潮に文学はなじまない。
だからこそ上のようなことを言われてしまうのだと思います。
しかし、世の中のすべてが分かりすく、説明できるものなんでしょうか。
なぜ人は恋をするのですか?
なぜ人のために力を尽くすのですか?
なぜ人の死は悲しいのですか?
幸せってなんですか?
このような疑問を分かりやすく簡潔に説明することは難しいんじゃないでしょうか。
そしてその答えは人それぞれだから悩みは尽きない。
そんな悩みから文学が生まれてきたのだと思います。
しかし一方で、文学が所謂大衆一般にまで十分に開かれていないことはそれはそれで批判されなければいけないでしょう。
もっと大きく言えば、人文科学にも当てはまることです。
そうでないと、文学という学問はただの趣味ということになってしまいます。
でも、今の私には声を大きくして「文学・文学研究はは意義がある」と言えるほどの力がありません。
どうすればいいのか答えが出ず、悶々としています。
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私は将来この道を進み続けるのか分かりませんが、
きっと「文学・文学研究の意義とは何か」という問題は私のなかでくすぶり続けるのだと思います。
皆さまはどのように考えるでしょうか。(そもそもこのブログを見ている人は皆無かもしれませんが・・・。)
もしよろしければ、コメントをください。
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たわいもない戯れ言ではありましたが、
文学について思い悩み、苦しんだ人間がここにいたと跡を残しておければいいと思います。
そして、このように悩む苦しむことこそが文学の本質だと信じています。